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2007年12月18日 (火)

「春と修羅」

 (6:35)

宮澤賢治

『春と修羅』 より


春と修羅

    (mental sketch modified)


心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲《てんごく》模様
(正午の管楽《くわんがく》よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾《つばき》し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路《めぢ》をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃《せいはり》の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素《エーテル》を吸ひ
     その暗い脚並からは
      天山の雪の稜さへひかるのに
      (かげろふの波と白い偏光)
      まことのことばはうしなはれ
     雲はちぎれてそらをとぶ
    ああかがやきの四月の底を
   はぎしり燃えてゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (玉髄の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
  日輪青くかげろへば
    修羅は樹林に交響し
     陥りくらむ天の椀から
      黒い木の群落が延び
       その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ




底本: 宮沢賢治全集1
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1986(昭和61)年2月26日
入力に使用: 1998(平成10)年5月12日第17刷
校正に使用: 1998(平成10)年5月12日第17刷
入力: 柴田卓治
校正: かとうかおり


※テキストはインターネットの図書館、「青空文庫」

のボランティアの皆様のお力によるものです。

青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/



BGM:ベートベン 
ピアノソナタ「悲愴」Op.13 第1楽章より

http://www.ruimo.com/

TAM Music Factory

http://www.tam-music.com/index.html


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■ 孝輔のひとこと

あまり知られていない宮沢賢治の心象スケッチ「春と修羅」です。賢治は生前に出版したのは、この心象スケッチ「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」の二冊だけです。この詩を詠んだ時、私が、最初に思ったことは、これは、言葉の織物だと。そして、これは、紙に書かれた紙上の二次元の世界ではなく、3次元・・いや4次元の世界を垣間見ることになるのです。実際、この詩には、二つの詩がうまく絡んで、織り込まれていると、私は思うのです。なんと、豪華絢爛な織物だろうと・・・・。心に見える風景は、歯ぎしりするほど、苛立った心境と、暗く陰気でおどろおどろするような風景と・・・・しかし、そこに散らばれた言葉は美しい響きを放ちます。詩の全体も、字下げをところどころ効果的につかって、心のゆらぎや、この詩全体の立体的な風景を作っています。諂曲模様の「諂曲」とは、自分の意志を曲げて他人に媚びへつらうことで、日蓮が著した「観心本尊抄」には、「諂曲=修羅」と書かれているそうです。ZYPRESSEN はドイツ語で、糸杉のことです。クリスマスツリーにも使われるそうですし・・それと・・ゴッホの絵に糸杉ってあったね「糸杉と星の道」「星月夜(糸杉と村)」だったね・・・なんて意味を調べていると、これはもう、宇宙のとか、生と死、時間と空間・・・はぁ~寝れなくなりそう・・・とてつもない詩ですね・・これは。

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コメント

あらためてこの詩を読み
孝輔さんのおっしゃる二重構造、いやすさまじい螺旋の宇宙をそこに見ることができました。

賢治にただうつくしさをしか感じとることのできなかったわかさをつくづくと感じます。

だから 烈しく魅惑する行のあいまになぜ
これらの行が挟まっているのか。
つきつめることなく 手ばなしていた疑問を
いまようやっと 解くことが出来ました。

詩集の題に択んだとおり
この詩は賢治を ひじょうによく現しているものなのですね。

でも それにきづくのには
これだけの時間を通り過ぎた後でなければ
たどりつくことはできなかったようです。

孝輔さん、ありがとう。

投稿: Suzuka | 2007年12月19日 (水) 07時43分

こんばんは~
いやーどうも、どうも~
賢治の詩集、賢治は詩と言われるのを嫌っていたそうです。この心象スケッチ「春と修羅」はもっとみんなに読まれてもいいかもしれないですね~。詩という概念を一変させる作品がいっぱいありますからね~
私も、今、ない知恵を絞りながら読んでいます。理解した時にすごい!て言葉が出てきますよ~・・しかし・・朗読者泣かせで・・どうやったらこの作品を表現できるんだと・・・・汗
とにかく、すごいです。

投稿: 孝輔 | 2007年12月19日 (水) 17時32分

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